今日は大昭寺に行きました。


門の入口で、たくさんのひざまずいて額をつける人たちを見ました。
畏敬の念が湧き、
信仰の力は計り知れません。
細かく精巧に描かれた壁画や仏像、建築の迫力に圧倒されました。
解説にはこうありました。「私たちは今生を求め、チベットの人々は来世を求める」。
実はこの点はイスラム教ともけっこう似ています。イスラム教も来世を求めます。
どの教派であっても、人を善へ導くものです。
私はいつも信仰の力に驚かされます。
私も少数民族です。
私は食べ物の面でだけ気をつけているだけです。
でも、私の年長の人たちは違います。
服装、礼拝、経を読むこと…
実は彼女たちは若い頃は、こうではなかったようです。
たぶん家族の誰かが亡くなって、彼女たちに「何かを求めなければ」「何かを信じなければ」と思わせたのでしょう。
そして信仰は、彼女たちにとっていちばん良い支えの方法です。
生きることは死ぬことよりも永遠に力があり、信仰は疑いよりもずっと強い。
🌞
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